Blog Story Part1 2021.4~

このブログを作ろうと思ったきっかけをお伝え出来たらと思い、Blog storyを書くことにしました。2021年4月からのコロナのひどい時期からのタイの生活をスタートしたたので、初めとても暗い内容から始まります。笑 

ただこの暗くて辛くて大変だったからこそ、今のタイ生活をようやく楽しむ余力ができるようになりました。そして今の自分がタイで出来ることを考えた時、ブロクを通して少しでも有益な情報を発信することで、一人でもタイの生活が楽しめるようになったらいいなと思っています。

コロナ渦に日本からバンコクへ

元々海外が大好きでちょっと海外で生活してみたいなぁという思いがあったのと、また子供の経験として絶対良いものになるという思いがあり、夫の転勤でバンコクに移住することに迷いなくバンコクへの移住を決意しました。

2021年4月に先にタイに住んでいた夫のもとへ移住することになったのですが、、、この時期世界中がコロナに翻弄されていて、まだワクチンが開発されて徐々にアメリカなどで接種が始まっていく頃だっと思います。コロナの恐怖を持ちながら、日本でPCRを受けて日本を飛び立ちスワンナプームに到着したのですが、日本とのコロナに対する意識に違いを空港で目の当たりにし、カルチャーショックを受けました。

それは空港に到着するとパイプ椅子が長蛇の列に置かれていて、防護服を着た係りの人がタイ入国のための書類を確認している光景に、以前観光できた楽しい雰囲気というのはなく、大変な時期に来てしまったなと感じました。またすぐに日本に帰れない空気を感じ、到着早々大変なところに来てしまったなぁと不安いっぱいな思いを持ったままタイへ入国しました。

入国するまでに数時間かかり、ようやく外に出れたと思ったのも束の間で、ASQ(検疫)ホテルのスタッフのが防護服でボードを持ってホテルに連れて行ってくれました。タイの常夏の空気を感じることもままならないまま、バンで輸送されたのと同時に今まで日本で防護服の人を見る機会がなかったので、この徹底さに驚きとショックを受けたまま地獄の隔離ホテル生活に入りました。

地獄の隔離ホテル生活10日間

2021年4月当時タイは入国時には10日間の経過観察が義務付けられていたため、入国時に政府指定のホテルに隔離されました。10日間の滞在中PCRが2回あり、私の滞在したホテルは1回目のPCRが陰性でないと部屋から一歩も外に出れず、数日間部屋での缶詰生活でした。

缶詰生活になるのは分かっていたので、広い部屋(100平米越え)で日本食が食べれるホテルで決めたのですが。。。なんと低層のホテルだったので、眺めもなく窓もほぼ開かず開けても異臭しかしなくビルの影で光も入らずもぐらのような生活でした。。また飽きないようにスーツケースとは別に段ボールを6箱持ってきて食べ物や遊び道具なと準備万端で来たはずだったのですが、時間がたくさんあってもやる気がないと何も手につかないと初めて感じました。

毎食ご飯も出してくれるので日本の忙しい生活に比べたらゆっくり過ごせる時間だと思うのですが、動いていないのでお腹もすかず日付時間の感覚もだんだんなくなり、いつからか暇が苦痛になり子供たちもストレスフルの生活でした。たぶんもう一度この隔離が始まったらもう海外に出ないかもしれないです。笑 そして外に出て新鮮な空気を吸うことや太陽を浴びることの大切さを感じました。

小学校、幼稚園が始まらない。。。

ようやく隔離ホテルから解放され、後は新学期を始まるのを心待ちにしていたのですが、、、通学が始まらない。。。日本では今まで通常に通学出来ていたので、オンライン授業を受けたことがなく、タイにきて初めて小学校、幼稚園ともにオンラインで始まりました。

上の子は当時4年生だったので、初めはパソコン操作さえ教えたら授業をすることは問題ないようでした。しかし息子の幼稚園は、日本語、英語、タイ語の授業がありすべてオンラインで始まりました。年長で入ったのですが、英語を学んだことがない息子にはもう宇宙的で常に私が通訳のように横に座って私も一緒に英語の授業を受ける日々でした。笑 英語よりも大変だったのが、タイ語です。来たばかりで私も教えようがなく、タイ語で折り紙を折る授業は、息子の不器用さとタイ語の理解できなささで何度か挫折しました。笑

こんな息子に手がかかっていて数ヵ月たったころ娘の様子をちらっと見に行くと、ベッドに転がりながら授業動画をテキトーに見ていました。涙 そして一番衝撃だったのが、動画から理解できなかったのか分度器の計り方を見ていたら、全く違う使い方をしていて通常授業の大切さを身に染みて感じました。笑

4月になったらタイでの新しいお友達を作って、どきどきわくわくしながら新生活を送れるものが当たり前だとに思ってタイにきたので、一学期すべてオンライン授業で終わってしまい思い描いていた生活とかけ離れた生活に親子共々ストレスフルになっていきました。

スパルタなタイ語の先生との出会い 笑 

タイで生活をすると決めたので、タイ語は必要だと思っていたのでタイ語は習わないといけないなぁと思っていました。タイ語を学ぶ中でタイ語教室でお友達を作ったり、とてもいいきっかけになると思っていた矢先。。まさかの夫から自分の習っている先生に一緒にオンラインレッスンを始めることに。

3,4ヶ月前から習っていた夫とタイにきたばかりの私のオンラインレッスン。先生と夫は復習感覚的なレッスン感覚だったので、初めての人用で始まったレッスンではなかったので地獄でした。笑 タイ語は声調があり、声調によって意味が変わってくるので初めは声調を習うのですが、元々すんなりと出来るタイプではなかったので、悔しさと自分の出来なさに落ちる日々でした。

3か月後ようやく別々にレッスンしましょうということになったのですが、、なんとタイ文字も覚えていきましょうという先生からの提案があり、数ヵ月後にはなぜかタイ文字もスタートするというスパルタタイ語レッスンになっていきました。笑

1年半近く習った今、看板が読めるようになったり工事に来ている人のタイ語が聞き取れたり、ローカルのお店で片言のタイ語で会話するとタイ語上手だねと言ってもらえるようになり、先生に感謝しています。タイ語が少し出来ることで、最近はどこでも行けるような気がしてます。笑

タイの規制がどんどん厳しくなる

4月にタイにきてから月日がたちましたが、減るどころか増えていく一方でした。そのため入店人数制限や店内飲食禁止、持ち帰りのみと徐々に規制が厳しくなっていくなか、とうとうプロンポンのデパート エンポリアムの営業停止、外出20時以降禁止令など街がどんどん静まり返るようになってきました。夜ベランダから車を見ていると、動いている車はすべて救急車のみでした。

ただ日中タイの町中を歩くと、子供に優しいタイの人にふれあえたり、デリバリーの人が日本が大好きで日本に行った時の写真を見せてくれたり、タイが本当に親日国なんだと感じました。

ただ新しい環境で衝撃的な新生活の始まり、そんな中椎間板ヘルニアになり身も心も疲れがピークに。また当時タイでワクチンの数が足りず外国人がワクチンが打てる状況にはなく、そのため会社から非常事態として日本へワクチン接種のため日本へ一時帰国が許可され、2021年7月末に日本へ一時帰国しました。たった約4ヶ月ですが、今でも思うと本当に濃厚で大変な日々だったなぁと思います。

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